Kindle FireはiPadを超えるか

日本でアマゾン・ドットコムと言えば、書店も含めた単なるオンライン・ショップという印象が強いだろう。だが、アメリカでは、インターネット時代のウォルマートとでも言うような、ちょっと不気味で巨大な小売り勢力としての姿を明らかにしている。

 そんなアマゾンの姿を刻印したのは、先頃発表されたアマゾン製のタブレット、「キンドル・ファイア」のせいだろう。

「キンドル」はアマゾンが自社開発した電子書籍リーダーで、2007年から発売されていた。オンライン・ショップがハードウェアを開発、販売すること自体が奇妙と言えば奇妙だ。だが、元来オンライン書店としてスタートしたアマゾンは、書籍販売に特別の思い入れとマーケット・リーダーとしての優位性があった。キンドルはプリント版書籍を販売するアマゾンが取り込んだ客を、電子書籍にスムーズに移行させるためのツールとなったのである。

 当初のキンドルは使い勝手こそ最高ではなかったが、新しいもの好きに大いに歓迎され、3代目のキンドルが発売される頃には、クリスマスのプレゼントとして一般にも人気のアイテムとされるようになっていた。町中のカフェ、飛行機の中、どこでもキンドルを手にして読書をする人々の風景が当たり前に見られるようにもなったのである。

 そこへ、キンドル・ファイアの発表だ。2010年春にアップルがiPadを発売して以来、モノクロの電子インク製のスクリーンしか持たず、コンピューターとしての性能の高さもないキンドルは、iPadに惨敗すると見られていた。あるアナリストは、電子書籍販売で90%に近い市場シェアを持っていたアマゾンは、iPadを初めとしたさまざまなタブレット・コンピューターの登場によって、数年後にはそれを35%にまで下げると見ていたほどだ。

 だが、勘違いしてはいけない。キンドル・ファイアはiPadの対抗機以上のツールなのだ。

 それは、わかりやすくたとえればこういうことだ。各家庭に電話機が配られる。ところがその電話機は、受話器を持ち上げてもひとつの番号にしかつながらない……。キンドル・ファイアも、実はアマゾンで買い物をし、アマゾンが提供するデジタル・コンテンツを消費するための入り口なのである。

 もちろん、キンドル・ファイアはひとつの番号にしかつながらないわけではなく、ウェブサーフィンもできれば、他のアプリも利用できる。もちろん電子書籍も読める。だが、基本的にはアマゾンとつながるために最適化されたツールなのである。当初のキンドルがプリント版書籍から電子書籍へと客を誘ったとすれば、キンドル・ファイアは、今度はアマゾンが抱える巨大なインターネット物販へと客を移行させる。その意味では、デジタル・コンテンツしかもたないアップルとiPadの関係と、デジタル・コンテンツに加えて、それを超える大きな物販のマーケットを持つアマゾンとキンドル・ファイアの関係は、同じ線上で語れないものなのだ。

 アマゾンがキンドル・ファイアを買い物の入り口にしようとしている意図は、その価格からも読める。カラーのタブレットなのに、たったの199ドル。アップルやサムスンのタブレットには500ドル近い価格がつけられているのと比べると、60%も安い。これは、原価を30〜50ドルも割る価格だと言われ、アマゾンはまたもや出血サービスでこのキンドル・ファイアを広めようとしているのだ。もちろん、カメラやGPS機能がないなどの欠点もある。だが、そんなものはアマゾンが考えるタブレット像には不要ということだろう。アマゾンは、同時に他のモノクロ・キンドルには、何と79ドルという最低価格をつけている。

 これに並行して、このキンドル・ファイアを使って楽しめるデジタル・コンテンツの充実にも努めている。中でも映像のストリーミング・サービスには力を入れており、NBCユニバーサルやフォックスなどと次々と提携して、メジャーな人気コンテンツを急速に補充している。ユーザーが利用できるクラウド・サービスも始めた。また、プライム会員という年間79ドルで無料配送の特典がある会員制も、キンドル・ファイアとの組み合わせで、ますますサービス内容を拡充するもくろみだ。要は、キンドル・ファイアを手にしたユーザーが、一日中これを使ってアマゾンのサイトにアクセスし、買い物をしたりコンテンツを楽しんだりすることが、アマゾンの狙いなのである。

 キンドル・ファイアというハードウェアの背後に浮かび上がってくる戦略もそうだが、アマゾンという会社のこれまでの発展ぶりには注視すべき点が多い。プリント版書籍の出血サービスによる激安オンライン販売から始まり、物販、電子書籍、デジタル・コンテンツへと拡大してきた。サイト上では数セントの価格にも敏感な商人根性丸出しだが、背後では巨大な物流をあやつり、常に先手を打って次世代のテクノロジー・インフラ作りに励むIT企業としての存在感を持つ。アマゾンが目につける分野は、いつも3〜5年後にはテクノロジー界で話題になるものばかりだ。

 一部の予想によると、アマゾンが2011年第4四半期に販売するキンドル・ファイアは450万台で、これはiPadが発売直後の四半期で売れた330万台を上回るものと見られている。スティーブ・ジョブズ亡き後、テクノロジー界に多大な影響力を持つのは、アマゾンCEOのジェフ・ベゾスかもしれない。